憂鬱な通勤・通学時間中に「情報を見る目」を養えるアートとは?

記事作成代行ドットコム・メルマガ -第28号-
執筆:「アート畑・シナリオ畑出身のWEBライター」青井紬(あおい・つむ)

こんにちは!
WEBライターの青井紬です。

楽しかったGWも終了してしまい、
再びパソコンの前に鎮座する日々が始まります。
もう一度GW初日に帰りたい・・・!
もう一度布団の中に戻りたい・・・!

そんな悩ましい思いがぐるぐる渦巻くGW明けですが、
考えていても仕方がありません。
素早く頭を切り替えて、本日もお仕事がんばります!

今回は物を見る目、情報を見る目を養うために、
ぴったりなアートについてご紹介をしたいと思います。

情報を扱う時には、
あらゆる角度からその情報を見ることができる、
物の見方がとても大事になります。

その物の見方を育てるのに、ぴったりなアートが
「超芸術トマソン」というアートです。

このアート概念は1982年に前衛美術家、赤瀬川原平氏が打ち出したもので、
人々の暮らしや生活の流れ、人間の意識や感情の流れ、
経済の流れが押し寄せて去った後に建築物や構造物などの中に残る、
無用の長物に美を見出して鑑賞する・・・というようなアートです。

例えば上った先に入り口がある訳ではなく、
下りた先に出口がある訳でもなく、
純粋に上って下りるという行為のためだけにある、
使用用途のない「純粋階段」。

入り口の枠はあるけれど、入り口部分はコンクリートでふさがれていて
決してその中には誰も入ることが許されない「無用門」。

窓がふさがれて庇だけが残り、
見えない何かを雨風から健気に守っている「ヒサシ」などなど。

改装を繰り返す内に、使用用途がなくなってしまったにも関わらず、
人間の暮らしの遺物、古い経済の遺物のようなものが、
建築物や構造物には残されていることがあり。
そしてそこには美やアートと言えるような何かが
ほのかに漂っていることがあるのです。

人々の暮らしの中で、自然発生的に生まれ、
誰にも気づかれずにひっそりと佇んでいる形容しがたい何か。
その何かに、美やアートを見出して鑑賞するのが超芸術トマソンです。

そして、このアートの一番おもしろいところは、
「制作者がいない」という事実です。

このアートを眺める時に、あるのは見る人の観察眼、審美眼だけ。

だからこそトマソンは、アートとそれ以外のモノとの間にある、
カテゴリーそのものをそっくり取り払ってくれます。

超芸術トマソンについては多々書籍でまとめられているため、
ぜひ一度トマソンの世界にふれてみてはいかがでしょうか?

このトマソンの世界を知ると、自分のモノの見方ひとつで、
目の前にある単純な物が「単なる物」になったり「アート」になったりする。
そんな驚きを味わうことができます。

また情報を扱う上でも、変わらない何か「芯」に気づいたり、
見飽きた何かから新しい発見を導きだしたりできる
情報を見る目を養うのにも役立ちます。

ちまたにあふれるありふれたもの、見慣れたものの中にも、
実はたくさん新しい何かがあふれています。

同じようにちまたにあふれるたくさんのありふれた情報、
見慣れた情報の中にも、まだ誰にも発見されていない
新しい何かが隠れていることがあります。

GWは終わってしまいましたが、ぜひ憂鬱な通勤・通学時間中にでも
身近なところにあるアートを探し、鑑賞してみて、
あらゆる角度からモノを見る目を養ってみてはいかがでしょうか?

次回は「固定観念との上手な付き合い方」をテーマにお伝えできればと思います。

GW明けのけだるい日々が続きますが、
五月病に負けず、ぜひ元気にお過ごしください!

WEBライター青井紬